コップから溢れ出る幸せ
こんにちは。
隠岐の島に行く予定でしたが、
台風の影響で断念して、今は島根のおばあちゃんの家です。
お盆に帰れなかったので、お墓参りできてよかった。
さてさて、
今日は久々にブログにて、自分の最近よく考えることを書いてみたいと思います。
これまで大学生活でいろんなことに挑戦してきて、
前のブログ投稿で書いたように、少し僕の心の中で変化が起きました。
たくさん挑戦してきたけど、
それはそれはたまらなく楽しかったこともあるし、
というか基本的には楽しかったんだけど、
なんか心のどこかで苦しさを感じていて、
たまに、その苦しさが楽しさをはるかに超えてくることがあったりして、
とても気持ち悪かった。しんどかった時期が多かった。
そのしんどさの奥底に潜んでいたものがなんなのか、を
ここ最近頭の中でぐるぐると考えていました。
『最近すなお、何してんの?』
最近会った人たちは、僕が大学4年の代ということも頭の片隅にあってか、よくこんな質問をしてくる。
たぶん、就職とかどうするの?キャリアをどう考えてるの?っていうのを少し含んだ質問だと思う。そう感じながら毎回答えている中で、
『最近は、パワーを自分の内側に向けてる(います)』
とか、答えてる。
パワーを自分の内側に向けている、というのは、
自分の意識の矛先を自分の内面に向けて、自分のこれからのことをじっくりと考えているっていうこと
これまでは、
対外的にどんなことをすれば、世の中で強く生きれるのか?
自分の実績にしていけるのか?成長するのか?
そんなことばかり考えていました。
たくさん読んだ自己啓発本のみんなから、お前の理想はここだろ?というのを、ずっと見させられていたというか、
見ていなきゃいけないと思わされていたというか。
兎にも角にも、今の自分には足りない『何か』をずっと追い求めていた。
この状態は、先ほど表現した『パワーを自分の内側に向けている』とは反対の、
『パワーを自分の外側(他人からの評価、自分の理想)に向けている』といった感じ。
同じ形式で表現するとそんな感じ。
ずっと、誰かのために価値を生み出さないといけない。
そうしないと、自分の人生は輝かないんだ、と思っていたんだと思います。ぼんやり
でも、それは違うなと今、振り返ったら思います。
人のために何かするって、一見するとすごくかっこいいし、
一見の先でもかっこいいと思う。
でも、その内実を見ると、
苦しみながらやっている人もいちゃうんじゃないかと、自分の経験上、思ってしまう。
苦しむのか、苦しまずにずっとエネルギッシュにやれるのかっていう、
そのどっちなのかっていう、明確な違いは
本当に心の底から溢れ出ているものであるか、どうか?
というところかなって思っています。
それを毎回、コップ理論と勝手に名づけて人に話している。
自分の心を、一つのコップに例えます。
そのコップに水を注ぐと、どんどん水がいっぱいになってくる。
いっぱいになりきったら、溢れる。そして、溢れた水は、机だか床だかにバーっと広がっていく。
ここでいう水は「充足感」
自分の充足感がたまりきったら、溢れて、そのエネルギーが他の人たちへ広がっていく、みたいなイメージ
そんな感じに溢れ出てくるものだからこそ、ずっと絶やさず人に対して愛を溢れさせることができるのかなと思うんだけど、
コップがいっぱいにならないうちに、
どんどん外に水を流しちゃうと、コップが乾いてしまう
そして、蛇口から注がれる水が止まっていたり少なかったとしたら、
苦しくなってしまう
みたいな感じ。
あー、意外に文章にしたら伝わらない部分は多いですが(もう少し言語化します)、
そんな感じに思っています。
だから、
あんまり人のためにって思わなくてもいいんじゃないの?っていうのが最近思ってること。
苦しくなっている人は、一旦それを横に置いておいて、
自分のために水を注ぐ時間に使ってみてもいいんじゃないかと思う。
かくいう、僕がまさにそうなので、
僕は一旦これまでやってきた活動を少しづつ閉じていっている。
その中でも、溢れ出してたまらないものには直感的に続けたり、新しくやったりすることもこれからあるかもしれないけれど、
基本的には外にはパワーを出さない方針でいる。
そんな時期があってもいいじゃない。
また戻ってきたよ〜っていって、合流してやらせてもらう、取り組むのもまたいいんじゃないかなと思ってます。
みたいな偉そうなこと書いてしまって、これ以上書いたらよくわからないことになって、投稿したくなくなってしまいそうなので、打ち切り。
ありがとうございました。
また何か思いついたら書きまする
台風で家ガタガタしてコワイ