Sunablog

東京のベンチャーで働く20代の戯言

2020年、ニヒリズムのすヽめ

2020になった。
 
年が明けて、祖父母の家でゆっくりしながら普段話せない祖父母、親戚と近況を聞き合ったりして楽しい時間を過ごしている。
スマホSNSでは友人知人が去年の振り返りや今年の目標を書き連ね、決意を新たに意気込んでいる。
僕はというと、ソファーに深く座り頬杖をつきながらその投稿に対して「いいね」をおし、自分の決意も新たにしたいとぼんやりと思う。みたいなのを繰り返している。
 
 
去年の今頃は、あれをやってやろう。これをやってやろうと、どんどんと新年の決意が浮かんできた。
今はそれがあまりない。
 
 
良いことなのか、悪いことなのかわからないが、去年の夏あたりからニヒリズム的な、どうしようもなく自然体でいたいと思うようになった。
全く意義も何もないことを、クソの役にも立たないことを全力で楽しみたいという欲求がいっぱいになった。
 
 
何か取り組むときに、自分が今やっていることに対して”意義”を見出して、それを深く考え全うする。
何かを解決したいと行動するとき、特に仕事においてはすごく重要な考え方なのだけれど、最近はその”意義”的な、もっともらしい何かを前提においた活動をあんまり大げさにしたくないという思いが強くなっている気がする。
 
 
例えば、本を読むこと。
今自分がこの本を読んでいることは何につながるのか、自分が時間を捧げて読むべき価値があるのか。
もっと他に価値のある時間の使い方があるんじゃないのか?
とか、前の自分は結構こういうことを考えたりしていたクソ真面目だったのだけど、そういう目的至上的な考え方を最近は意識的に遠ざけていた気がする。
 
 
もっと自分が今読みたいと思ったものを読む。
例えば前は全然興味のなかった、小説やエッセイ、適当に入った古本屋でタイトルだけ見て面白そうと思った100円で買った本とか、偶然でただ、面白そうという自分の好奇心で読むものを決めている。
その方がなんか読むことを自体を楽しめている実感がある。
 
 
 
そういった、『何でもいいじゃん。もっと気楽にいこうよ。』という積極的なニヒリズムへの憧れがある一方で、
そうはいっても、何か達成をして自分を、ひいては周りを幸せにするには、自分を燃やす目標設定や、信条を作るべきでもあると思ったりもする。
 
 
僕は今、大学4年生を休学していて、大学3年生と同じ立場で就職活動をしているのだけれど、
企業の人事の方との面接でたくさんの質問を受ける。
 
 
人生で何を達成したいのか。
この会社でどんな成長を遂げたいのか。
将来のビジョンは持っているのか。
それはなぜなのか。
 
 
そういった質問を受けるたび、ニヒルに憧れる僕が心の中で疼く。
なぜとか理由っている?なんかこの会社いいです!バイブスめっちゃあってます。
だから働かせてくださいで良くない?
将来のビジョンて、今の段階でわからなくね?自分も時代もめっちゃ変わるのに。
 
 
とかとか、いろんな極論が浮かんでくる。
 
でも、自分で自分に冷静に全部言い返せちゃう。
人事の方々がああいう質問してくるのには絶対に訳があるのだ。向こうは人を見るプロだ。
入ってくる新卒者が会社に好影響を与えるか否か、もっと想いを持っている人事なら、対峙しているその人の人生が良くなるにはどのような選択を促したらいいのか、
その材料を引き出すために質問をしている。
 
 
理由は必要だ。
自分が自分の選択に納得するためには理由が必要。
何となくの雰囲気や、バイブスももちろん大事だけど、後から全体を見て〜だから。という理由が自分の行動や選択の後押しをしてくれる。
苦しくなった時も、その理由で救われたりする。
 
将来のイメージも必要だ。
現時点でわからないにしても、こんな感じになりたい。
こういった自分でありたいというイメージは言えるはず。
それがめっちゃ変わっても、消えて無くなっても全く問題ない。
イメージが自分が今何をするかの足がかりになってくれる。
 
 
最近はこんな感じで、
どーでもいいじゃん、っていう自分と、
意義・目的は大事である!っていう自分とが両方混ざってる感じ。
 
 
お正月はダラダラしてるから、95%くらい「どーでもいいじゃん」だけど。
この両端の感覚をいかに自分の中で仲良しにさせるかがすごく重要なんじゃないかと思っている。
 
 
2020年はこんな感じで、いい塩梅で
理想としては、
ヒル:目的・意義主義 = 6:4
くらいでやっていけたらなと思います。
 
 
だいたいゆるふわで、時には心を燃やして、楽しい1年にしていきたいと思います。
 
がんばるぞ。