Sunablog

東京のベンチャーで働く20代の戯言

幸せに生きるには

2020年9月1日。

大学生最後の誕生日を迎えました。

とうとう23歳になってしまった。22まではなんだかまだまだ若い!って感じが自分でもしたし、テイラー・スウィフトの22聞いてても、なんかまだまだテキトーでいいぜ!って感じがしてて。

でもこうして23歳になって、そして来年の3月には最高に楽しかった大学生活が終わる。
なんだか節目の時期に来た気がするので、久しぶりにブログを更新しようと思います。
 
大学生活が始まったと同時に始めたこのブログで、
一番胡散臭くて、青臭いタイトルで書きます。
まだ社会人にもなってない奴が、経験も実績もない奴が、と思ってこの手のものは最近書けなかったのですが今回だけ、今思うまんま書きます。数年後に振り返ったらおもしろそうだし。笑
 

「幸せに生きるには」

僕が僕個人として現時点で幸せに生きるのに必要だと思うのは3つ。
 

 

 


 

 
「やらなきゃ」よりも「おもしろい」を優先すること

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僕はこの大学5年間、本当にやたらめったらいろんなことをしてきました。
大学1,2年の頃は、教育系、国際系、地方系、それぞれ学生団体に所属したりつくったりしてました。
大学3年と休学期間は、コミュニティ作りに勤しみ、
最後の1年間は起業して地方企業の採用系の取り組みをしています。
 
正直やってきたこれらの活動の中で、本当に「おもしろい」と思えていたものは一握りだったと思います。
 
「おもしろい」というよりも「やらなきゃ」という思いが強いものばかりでした。
せっかく島根から高い学費を親に払ってもらって上京してきたんだ。何者かにならなきゃ。成長しなきゃ。
ずっとそんなことを考えていました。
 
だから自分の興味とかっていうよりも、自分の成長に対しては何が一番良い行動なのか。というポイントを強い判断基準にしていました。
 
それはそれは真面目な、俗にいう「意識高い系」の大学生。
「満員電車に死にそうな顔して揺られて、本当にあんな生き方して楽しいんか。俺は絶対あんな大人にはならんけんな。」
 
実際そんなに死にそうな人もいないし、案外みんな楽しく働いている人がほとんどだし、お前が生きてる社会はそんな大人たちがつくってんやぞ。と、今の僕からさとしてあげたいですが、当時の僕は周りを否定することによってしか、自分を肯定してあげられなかったのです。相当イタいやつでした。
 
その頃、そんな僕の姿に呆れたのか「お前はまじでつまんない」「クソ真面目すぎて話してて退屈」と親友に真顔で言われたことがあります。
そんなストレートな感想に、なんで自分はこんなに真面目なのか?真面目はダメなのか?と考えるという、骨の髄まで真面目なループ現象を繰り返していたのが当時の僕でした。笑
 
話はそれましたが、ずっとそんな調子で「やらなきゃ」を考えていた僕は、
やっている活動や勉強を全く楽しめていませんでした。
必死に目の前のことをやって、小さなプライドと自己肯定感を満たし続ける毎日。
 
心も体もカピカピ、潤いゼロ。そんな感じでした。
 
今の僕はそんな自分に戻らないように、意識していることがあります。
それは、まずは自分が「楽しい」「おもしろい」と感じることを優先することです。
 
日本だとより顕著だと思いますが、楽しむことよりも耐え忍ぶことが美しく、
おもしろいことよりも、つまらないことでもコツコツ継続できる人がすごい。

 
そんな価値観や社会の固定観念があると思います。
みなさん昔から絵本とか読み聞かせしてもらっていたと思いますが、「アリとキリギリス」の童話。あの話では、アリさんが圧倒的「正」です。

 
キリギリスは冬を越すための準備を怠ったために、蓄えがなくて死んでしまった。
アリは春の段階からせっせと食べ物を蓄えて、冬を乗り切ることができた。
 
確かに事実としてその面もあるかもしれませんが、見方を変えてみれば
キリギリスは少なくとも冬までは思いっきり自分が「楽しいこと」をしています。
アリさんの感情は絵本で表現されてない(記憶上は)ので、どうだったのかはわかりませんが、このキリギリスは「楽しんでいた」ということは表現されていません。
 
童話の世界ではアリさんが圧倒的「正」だったかもしれませんが、
現実世界ではそうじゃない場合も結構あると思ってます。
 
 
大学1,2年生のころの僕は、完全にアリさんでした。
せっせと将来のためにと、何か学ばなきゃと必死でした。
でも、そこに「楽しさ」「おもしろさ」がなかったために一つひとつの活動が続きませんでした。
いつも終わり方は決まっていて、やらなきゃというプレッシャーに押し潰されてという理由でした。
 
このブログでも書いたことがあるのですが、
おもしろいが溢れなければ、活動へのエネルギーは溢れていきません。

sunapong.hatenablog.com

 

だからまずは、生活でも、活動でも、仕事でもなんでも
自分の中の「おもしろ!」「楽し!」という感情を優先するのが大事だと思います。
やらないといけないことは、そのあとでいいんじゃないでしょうか。


遊びも真面目なことも、思いっきりできる仲間がいること

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この大切さは学生の5年間で一番感じたことかもしれません。
しかも年々、そのありがたさの感じ方が強くなっている気がします。

僕は大学1,2年生の時、そういった友達はいませんでした。

まじで悲惨なくらいいなかった。。笑

一緒に学生団体で活動する人たちはいましたが、くそふざけた遊びや飲み会もしていたかというと、あんまりしていなかった気がします。

 

それはそれ、これはこれで、遊びだけの友達がいればまた違うかもしれませんが、
当時の僕にはそういう友達もめちゃくちゃ少なかった()

 

例えるなら、
まじで仕事場上の関係性だけの仕事仲間だけいて、
私生活でも仕事ことばっかり考えている社畜真面目リーマン。
仕事で辛いことあっても、そのストレスを吐き出す先が全くない八方塞がりな悲しい男。

そんな感じでしょうか。
 
そんな状態だったので、おのずと精神的に辛くなってきます。
ひどい時には鬱っぽくなったり、大変でした。
 

おそらく今の僕を知ってくれている人がこれを読んだらびっくりすると思います。

そのくらい当時は大変だったし、人との繋がり方がわからなかった。

 

でも今は、喜びや悩みや、真剣な想いも
全部ひっくるめて共有できる!と思えるし、バカ騒ぎも、めちゃくちゃくだらないことも一緒にできる仲間がいます。

 
これから学生が終わっても、近況を聞き合うだろうし、一緒に仕事もするであろう仲間がいることほどワクワクすることはないなと思います。
 
人はモノと違って変わりますが、その変化も一緒に楽しみながら、自分の変化も受け入れてもらいながら、人生の面白みを分かち合える人をもっと増やしたいなと今でもずっと思っています。

 
社会人になってからもワックワク!

 


情熱を傾けられる先があること

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そして最後のこれ。これが多分一番得るのが難しいと思う。
僕もまだまだ、これホンモノだ!!!と思えるものは見つけられていないし、育て切れていません。
 
情熱を傾ける先は、仕事でも趣味でも家族でもなんでもいいと思ってます。
僕の場合は、おそらく仕事。
めちゃくちゃワクワクする仕事で、自分の周りや世界を驚かせ、楽しませ、その反応をみて自分も喜ぶ。その連鎖と渦ができた時に、これホンモノだ!!!と思うのだと、
 
そういう抽象的なイメージはあります。
 
自分の中でもこんな世界になったらなあという、ぼんやりとした理想はあります。
そして、今もそれに触れられるような仕事も少しづつですができています。


でもまだまだ、それに対して突き進めている感じはなくて、
もっと車輪がガッチリ噛み合うというか、自分の全身で楽しさを感じるところまではいってないなという感じです。
 
 

読んでくれている人の中にも、まだないなーと思ってる人、多いかと思います。
僕もぼんやりしています。
が、焦ってはいません。
 

ぼんやりしている段階、まだないなと思っている段階で、

躍起になって「情熱を傾けられる先」を探しても絶対に見つかりません。

見つかった!と思ってもそれは自分の安心材料にするためにとってつけたハリボテです。

 

これに関して多分そうかなーと思ってることがあるんですが、
「情熱を傾けられる先」は徐々に自分の中で育てていくものだと思うんです。

 

僕もぼんやりしていますが、抽象的にはある「たね」をそれにかすめるような、

少しそのたねをざわつかせるようなことを、どれだけ経験できるか。

その経験の回数や濃度で、どんどんと「たね」が育っていって、

芽が出て、育っていく。

その過程を経て、ホンモノになると思います。
 
僕はまだ「たね」の段階なので、社会人としての最初のキャリアは、
それを育てられそうな環境を選びました。

 

この「たね」がどう化けるかが本当に楽しみで楽しみで。。ワクワクです。

 

 

おわりに 

いやー、自分でも「青臭えな(笑)」と思いながら書いた文章たちでしたが、

 全部今思ってることです。

読んでくださった皆さんはどう感じたでしょうか。

この「読んでくださった皆さん」には、何年後かの自分も想定して書いています笑
 
僕が小学生のころ、学校の行事の一つに、自分が20歳になった時に届く自分宛の手紙を書くというものがありました。

当時小学5年生の僕は、めんどくせえなあと思いながらも、書いてみたら面白くなっちゃって結局1枚でいいところを2枚目に突入してまで書いていたことを思い出します。

20歳になった時に見返すと、すんごい上から目線でイラつきましたが(笑)それなりにいいことが書いてあって考えさせられました。

 

これから23歳という、学生感の無いずしりと重い感覚の歳を生きます。

社会人にもなり、おっさんになりゆく自分の、面白がる力に期待して。

おわり!