Sunablog

東京のベンチャーで働く20代の戯言

脳内ハッピー変換野郎

最近の世の中はコロナ一色だ。
そんな中で最近吐き出せていなかったことを、コロナと関係なくてもどんどん書いていきたいと思う。
 

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最近はいいこと悪いことがどっちも同じくらいの質量であったかなと思う。
いいことから言うと、
就職活動が終わり、会社の決算もほとんど終わり、自分の中でこの1年間で積み重ねてきたものに一旦区切りがついたと言うことだ。
本当に山あり谷ありいろんな人の支えがありながら今日の野津直生でいられるなあと思うと、本当に幸せだと胸を張って感じることができる。
小さい頃から両親に恵まれて、何不自由なく育ててもらい、大学に通わせてもらって、東京という日本で一番刺激が多いところに長い間暮らさせてもらっているのは間違いなく両親の援助があったからだ。自分が子供を持つようになっても、こうやって全力で、そしてしみじみと感謝を綴られるようなオヤジになっていたいものだ。
人生において「親」というフェーズでの定性的な目標を掲げるのであれば、間違いなく「子供からしみじみと感謝を綴られるオヤジになること」である。
未来、自分の子供が鉛筆なのかipadなのか、僕のようにMacEvernoteに打ち込んでいるのか、空に向かって目でフリックしているのかわからないが、
心の中でオヤジありがとうと感じながら編み出される文章をくらいたいものである。
 
 
両親以外にもたくさんお世話になった。
身内でもなんでもないのに、僕のやりたいと思ったことに対して力を貸してくれる大人たち。
あんなイケオジ、イケオバになりたいものである。イケオバはちょっと失礼か。イケオネエ。いやそれも違うかも。
とにかく、自分の築いた経験や資産を若い世代に与え続けられるような素敵なギバーになりたい。恩送りをしたい。
 
 
そんな恩送りの第一歩として、短期的に手に入れて、しかも賞味期限が短い「就職活動の経験」という経験を、次の世代にギブしていこうというミニ作戦を最近結構している。僕もたくさん悩んで自分なりに出した就活のイロハを全部伝えて、就活に関しては老害から成仏しようというわけだ。
どうやって伝えればその子の糧になるか、わかりやすく伝わるのかを結構考えている。
ポイントは”糧にしてもらう"ということである。
僕の就活での経験を全部そのまま飲み込んで欲しいとは微塵も思っていないし、帰ってそれは危険行為だ。
そうではなくて、自分の考えや考察を軸において、僕の経験はただの材料、自分を動かす原動力の一部として捉えてもらってぜひ活かしてもらいたい。
それが僕の経験が成仏するために必要なポイントである。
 
  
そんなことを考えるのはとても楽しい。本当にその子のためになっているかどうかは、対面にある存在の僕には窺い知れぬところだが、きっとそうだと思いながら考える利他的物事は実に楽しさと充実感を僕に与えてくれる。
 
 
ある本に書いてあった。人間は人のために何かすることが最上位の喜びだと。
僕はこの考え方に疑問を抱いていた。無論、この一節をそのままで捉えると今でも懐疑的な気持ちになるが、
一つ前に「自分の幸せが溢れた後、」という文が付け足されると自分の中ではしっかり納得できるものになる。
 
 
生物は本質的には自分のためにならない(自分の生存本能の延長にないもの)には興味を示さないし、行動を自ら起こそうとしない、とある生物学者が言っていたようだが、
僕も実はそう思う。
 
 
人のために何かをすることは結局は自分が楽しくなるためにやっているのだ。
もう少し、心のこもった表現をすると、
人のために何かをすることは、自分を幸せにする。その適切なサイクルが世界を幸せにすると思うのだ。
 
 
まあ、そんなこんなで、本質的に人のために何かしたい!と思えている今日この頃だよ。ということだ。それだけ最近は充実している。
 
 
 
その反面、反省すべきこともあったなと浮かんでくるものがいくつかある。
自分の強烈なのは、自分が恩返しすべき人に対して信用を失うようなことをしてしまったことだ。
いろんな方面でお世話になっていた人に対して、自分の力不足、至らなさで迷惑をかけ、もらった時間を無下にしてしまった。
謝っても解決はしないことだ。正直まだかなり心をえぐってくるし、何度反省してもこのマイナスは消えることのないものだ。
自分の誠意が足らなかった部分もあるし、相手に与えてしまった印象そのままに自分へのダメージに変わってしまっているこの感覚を反省とともにこれからの糧にしていきたい。くよくよしてもどうにもならない、前を向いて自分のモノにしていく。
 
 
これは開き直りでは決してなく、大きな反省と自戒、これから自分の人生に関わってくれる人に対して与えてしまうかもしれない嫌な要素を、少しでも減らしていくために必要な内省と心構えだ。これからも変わらず謙虚に、粛々とやっていきたい。
 
 
 
そんな内省をさせてくれる時間を作り出してくれた(嘘です。基本的には暇です)のは、不謹慎かもしれないが今回のウイルスで自宅にいる時間が多くなったからだ。
どんな事態が起きても、どうやったらそれがプラスにはたらいてくれるのか、常に考える脳みそを携えておくのは、これからのVUCA時代には必要不可欠だと僕は思う。
 
 
臨機応変な対応力。と言ってしまえば殺風景でつまらない言葉並びだが、
脳内ハッピー変換野郎、とでも称してしまえば、ポップで親しみと愛着が持てるのではないかと今思ったので、今後はそう呼称していくことにする。
僕は脳内ハッピー変換野郎になりたい。