Sunablog

東京のベンチャーで働く20代の戯言

日々の生活を楽しむアイデアを

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つづく日々の道の先を
塞ぐ影にアイデア
 
これは僕が愛してやまない星野源の「アイデア」という曲の歌詞の一節だ。
日々がどれだけつまらなくても、何かよくないことが起こって大変な日々も、自分で楽しくしようという意思のこもったアイデアさえあれば、
幸せに、楽しく生きていけるよね。
そんな意味だと僕は解釈している。
コロナで塞ぎ込む日々、楽しくしようとするアイデアが何よりも大切なんだと思い起こさせてくれる歌詞である。
 
 
星野源のエッセイにもハマっている。
「そして生活はつづく」
生活を全く楽しめず、仕事にしか高揚感を感じられなくなった彼が、
「生活を楽しむ」ことを取り戻すために自分の生活の中で起こったことを面白おかしく綴ったエッセイである。
 
 
こう言っちゃなんだが、僕は最近、コロナのおかげで「生活を楽しむ」ということを体全体で感じることができている気がする。
 
 
朝。
気怠い体を無理やり起こして洗面台へ向かい、顔を洗い、口をゆすいでパンを2枚焼く。
焼いてる間に、ヤカンでお湯を沸かし、安いインスタントコーヒーの粉を友人からもらった藍色のマグカップに無造作に入れる。
ピーっとやかましい沸騰の合図を聞いたらガスを切って、あついお湯をマグカップに注ぎ込む。
毎日寝ぼけ眼で、無意識に遂行するこの動作でさえ、最近は愛おしく思えてくるのだ。
 
 
毎日、電車に乗り、仕事のためだとどこかへ行き人に会い、休みとなれば誰かと会うわけでもなく行ったことのないカフェへ行き、コーヒーを嗜む。
何もない日に何も刺激がないのが怖かった。
自分がこれまで出会ったことのない、新しい刺激を求め彷徨っていた。
そんなふうに、コロナ前の日々を遠い目で見るかのように思い出す。
もちろん、そんな日々もとても愛おしく、僕の脳みそをいつも楽しませてくれる大事な楽しみで溢れた日々だ。
 
 
だけど、何もない、これといって新しい刺激がなくとも、日々を楽しむことができる。
齢22にして、生活のレベルが一段上がったようだ。
頭の中にポケモン風のレベルアップ音が鳴り響く。テテテテンッ!
 
 
外出するという楽しみがなくなってしまうのもコロナのおかげ。
生活を楽しめるようになったのもコロナのお陰だ。