Sunablog

東京のベンチャーで働く20代の戯言

街の感じ方。世間からの見られ方。

島根西部の旅をしてきた。
とても楽しかった。
正直、島根県のことは知り尽くしていたと思っていたけど、温泉津、浜田、津和野、美保関と、いろんな田舎を回ってきた。
その土地土地には、言葉では言い表しきれないなんというか、荘厳な魅力が詰まっていた。
人々の生活の歴史、そのまちが生きているかのように、息遣いが聞こえてくるように、温かさや、冷たさが伝わってくる。
 
 
毎日のようにめまぐるしく様相が変わり、刺激を与えてくれる東京の街もとっても好きだが、
それとは全く別物の魅力がそこにはあった。そして何よりも、自分がその土地の出身者、同じ島根県というところで生まれ育ち、
人間を形成してきた土地のつながり、ある種人間でいえば血の繋がりのようなものを覚えて、自分の中に暖かさが帰ってきているのかもしれない。
おそらく、今回のような少し変わった魅力の感じ方は、他の田舎ではあまりしないだろう。
 
 
全く知らない土地の風景を見ても、そこに住んでいる人たちの生活はわからないし、何やら家族や友人の行動を観察して楽しむような、
一種の近親的好奇心はそこにはない。
自分とは違うルーツの人たちが生活しているただの街と感じるに過ぎないと思う。
 
 
こういう話をしていると、いろんな固定観念が世間から降りかかってくる。
視点が狭い。
もっと世界を見て学び、闘え。
地方創生・まちづくりに興味があるのか。
 
 
違うんだよ。そういう一方通行、汎用性のない話をしているんじゃなくて、
一人の人間としての感情の感じ方として、
「島根」という土地にルーツを持ち、その土地に共感している。
別に、経済成長を基軸とした人口増加目的一辺倒の"地方創生"にも興味はない。
そういう見方でしかモノを見れない方が、視野が狭い。と思ったりする。
 
 
これは地方とかいう、土地のカテゴリーだけでなく、
例えば大学とか、会社とか、
人はそれぞれ自分のルーツと思えるようなものを携えて、それを拠り所にしたりする話と同じではないかと思う。
 
 
自分のことに当てはめて考えてみると、
全く違う大学出身の人よりも、同じ大学を出た人の方が親近感が湧く。
同じ会社の人の方が親近感が湧く。きっとそう感じるはず。
 
 
島根がどうとかというのは、そういった感情に近いのだ。
1人の人間の、ひとつの人生として、そういった感情は大切にしたいし、
少しでもそこに沿った時間の使い方、人生の使い方をしたいなと思った。
 
 
そのほうが、絶対自分だけのオリジナルな人生を歩んで、後悔なく生きられる気がする。