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日本の信仰「七福神」について (大学のレポートより転送)

みなさんこんばんわ。

今回は定期的に僕のブログで発生する謎回です。
今回は久しぶりに大学の課題レポートで頑張ってやったやつがあるので、
ここに転載しようと思います。興味ある人だけ見て見てください。
書いてあるのはただの大学のレポートですので(しかもかなりひどい文章)
 
前にも自分の進級論文をこのブログに載せたこともあります。

よかったらどうぞ↓

 

sunapong.hatenablog.com

 


 
一応、教授とかがあとで見て、「お前、レポートコピーしとるやんけ!」って言われないように言っておきます。
 
「法政大学経済学部国際経済学
 B組所属の野津直生が書きました。」
 


はいこれで大丈夫。 (たぶん)

では本編どうぞ。





日本の信仰「七福神」について

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このテーマを選定した理由
この「七福神」をテーマとして選択した理由は、自分の幼少期からの生活に最も身近で、それにもかかわらず、深くは知らない事象・信仰対象だったからである。小さい頃から、両親が共働きで忙しいときは島根県の祖父母にお世話してもらっていた私は、ご飯を食べるときなどによく「このお米一粒一粒に神様が宿っているんだよ。だからありがたく頂戴しなさい。食べ物を粗末にしてはいけないよ。」と言われて来た。この「神様」の正体が果たして「七福神」だったかわ定かではないが、日常に常に神様への信仰があったのは間違いない。小学校の時は、給食にでる牛乳のパッケージに七福神の中の1神である「大黒天」がモチーフになったロゴが入っていた。それも記憶にしっかり残っている。そのような形で、神々の国と言われる島根県で育ち、地元を誇りに思うと同時に、その神々の信仰を知る機会がなかなかなかったので、今回は、あえて世界ではなく、自分の生活にいちばん身近であった日本の進行「七福神」について記述していこうと思う。
 

 この七福神とは一体なんなのかを記述していく。この七福神とは、名前の通り7つの神が集まってできた一つの総称である。1神ずつ簡単にまとめてみる。



・恵比寿天

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調べながら判明したのだが、この7つの神様の中で唯一の日本の神様である。その姿の通り、漁業を営む魚民のなかで信仰され始めたというのが有力である。漁民の間では大漁をもたらすありがたい神として、海岸付近のほからなどで祀る例が数多くある。神様の役割は時代の流れとともに、多くなっていくようで、中世の商業発展に連れて「商業の神・恵比寿」としても祀られるようになった。


・大黒天

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大黒天のルーツは日本ではなく、インドにある。インドにおける大黒天は、マハーカーラと呼ばれ、青黒い体を持つ破壊・戦闘の神である。インドでは恐ろしい姿で描写されていたが日本に伝わる道程の中国では台所の神として祀られ、その中で日本に伝わる頃には「破壊・戦闘」の象徴から少し離れたイメージで伝わった。日本では、その姿に米俵があるように主には農業の神様とし役割をなした。

 

 

毘沙門天

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毘沙門天のルーツはインド前期のヴァイシュラヴァナという北の方角を護る神で、各方角を護る仏教における四天王の一神である。その勇ましい姿から、中国では武道の神として祀られ、日本に伝わる頃にもその信仰は残っていた。日本の有名な武将の上杉謙信も自分は毘沙門天も生まれ変わりだと信じ、自らの戦記に毘沙門天の「毘」の字を記したほどである。しかしながら、なぜ七福神の一つとなっているかは定かではない。



・弁財天

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弁財天は紅一点で七福神の中で唯一女性の姿をした神である。琵琶を弾く姿で描写されており、芸能の神様として祀られている。水の神としての側面も持ち合わせており、日本国内で祀られている場所の竹生島(滋賀県・琵琶湖)、江ノ島(神奈川県)、厳島(広島)はいずれも水辺である。

 

 

・福禄寿、寿老人

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福禄寿と、寿老人はいずれも中国の道教が期限の長寿の福神である。この2神はいずれも水墨画の画材として日本に渡って来たとされる。この2神はあまりにもその詳細や信仰のあり方が似ている。一種の数合わせに使われたのではないかという説もあるほどである。


 

布袋尊
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布袋尊七福神の中で唯一の実在の人物である。中国の唐末期に実在した超能力を持つ禅僧がモチーフとなっており、いつも大きな袋を持ち歩いていたことから「布袋」と呼ばれたそうだ。この僧の人徳と、人の運勢を絶対に当ててしまうような能力や福運にはご利益があると考えられ、祀られるようになった。




 このように七福神は一見バラバラのご利益や、ルーツを持っており、なぜこの神々が一つにまとまって信仰されているのか。今度はそこを紐解く。

 


七福神の由来・なぜ集まったのか
 日本で七福神が出来上がったのは、室町時代だと言われている。当時、〇〇八景など、数を集めてそれを総称することが流行した。有名な絵で「竹林の七賢人」というものがある。それが当時、画材として好まれ多く使われていたことも、七福神の始まりだとも言われている。
 では七福神とはただの流行が期限なのかというとその要素も確かにあったが、それだけではないようだ。仏教経典の一節に「七難即滅七福即生(しちなんそくめつしちふくそくしょう)七難を消滅すれば、七福が生ずる」というものがある。七つの難事を解決すれば、七つの福が来たるというものがある。その文脈が骨子となって、そこに時代の流行が交わり、七福神が誕生することとなった。




 

感想・意見

 今回のレポートに際して、自分の小さい頃からいつも身近にあったこの信仰対象に対して少しの興味はあったものの、調べられていなかったので、単純に良い機会だったなと思う。調べていく中で、意外にもこの7つの神が集まっていることには何かに裏打ちされたような由来があまりないことに一番驚いた。神様として信仰されるのだから、もっと荘厳な、厳格な歴史や由来があると思い込んでいたが、時代の中での流行だとか、数合わせに神様が起用された可能性があるだとか、あまりにも薄い意味から出来上がったものだということには正直少しがっかりしたかもしれない。しかし、神様1つ1つにはしっかりとした由来や、意味や、経緯があり、それが長い年月や、人々の伝承、水墨画の画材としてなどの文化として伝わって来て、今日の信仰に至るというのを俯瞰して考えるとなんだか感慨深い気持ちにもなる。


 このようなことは民族信仰以外にも、現代の事象にもいえるなと思った。例えば何か、現代で大衆が正しいとしているものや、文化的に当たり前になっているものでも、起原は意外とあっけないものであったり、人々がそのイメージや印象や、周りの人々の状態により過大評価したり過小評価したりすることもあるかと思う。
 今回のレポートで、民族信仰の文化の対流の世界規模で大きなうねりが関与しているということを知ると同時に、人が物事を認識する際、周りの人が言っていることや周りの人の状態が伝えているものが大きく、しっかり自分の認識を持つには、やはり自ら調べ一次情報を得るべきであると痛感した。後者の気づきは少し今回の表題から外れているかもしれないが大切な気づきであった。