今、見落とされがちな「地域格差」問題
こんにちは
終電を逃し、深夜2時の神保町のマックからお送りします
季節はもう春めいてきて、僕の一番好きな季節に突入です。
あったかい。最高。
さて、今回のテーマは
『これからの時代で見落とされがちな「地域格差」問題』です。
今回の記事のテーマは僕のtwitterやfacebookでも何回も発信していることで、
リアルでも、少しずつではありますが、行動を起こしているところです。
そんな中、twitterでこんな記事が流れてきました。
この記事読んだ時、ああまさにこれ。ほんとこれやわあ。まじで。って腹のそこから思いました。
で、たまらず僕も想いを文字に起こしているところでございます。
この記事で何を強調して問題提起しているかというと、
大学を筆頭とした『教育環境』の地域格差です。
僕の言葉で言うと
東京と地域の間で生じている『機会格差』です。
この記事の筆者は、北海道の釧路から、大学進学を期に東京に上京し、現在はニューヨークの大学に留学中とのこと。
かく言う僕も、留学はしていないですが、島根から大学進学を期に東京に上京してきたと言う経緯は、感情移入するには十分すぎるほど、同じような状況です。
上京して丸2年ちょっと。
本当に感じる現代日本の格差は「貧富の格差」でもなく、「情報格差」でもなく、
『機会格差』でした。
前2つの格差で苦しんでいる方には、言いにくいですが、
自分の立場から言わせてもらうと『機会格差』が圧倒的に感じています。
じゃあ具体的にはどんな格差なのか?
記事から抜粋します。
教育における地域格差の帰結をあらためて言い換えれば、それは「同じ学力の子供が、田舎に住んでいるという理由だけで、都市に住んでいれば受けられたはずの教育の機会を奪われている」ということである。そして、「知っていたら大学に行っていた」人口は、間違いなく、かなりの数にのぼる。
そして私は、もし過去に戻ってみずからの意思によって進路を選択できるのなら、迷うことなく前者を選ぶ。なぜなら、大学進学は選択肢を可視化するためである。「知らなくて損をする」という可能性を小さくするためである。
ここで出てきている
『都市に住んでいれば受けられたはずの教育の機会』
とは
例えば、大学生の立場で考えれば、
「多様な人々」に触れる機会
が一番に来る思います。
これらのことを実際に生業として自分の生活をしている人に、
地域ではどれだけ会えるでしょうか?
そう言うことを考えている、同年代にどれだけ会えるでしょうか?
そして、それを自分の人生の選択肢として現実味を持って考えられるでしょうか?
少なくとも、僕の地元、島根ではなかなか会えないし、これらのことを本気で議論できない。
他のトピックについてもそうです。
「国際問題」
「IT・AI」
「ブロックチェーン」
「IoT」
「FinTech」
「ビックデータ」
「価値主義の社会」
etc...
これらの事柄を深く理解している人にどれだけ会えるのか?
今回の記事では誤解覚悟ではっきり言いますが、
日本の「地域」には、
これらのトピックを高度なレベル感で話せる人はほとんどいないと思っています。
自分の考えを持って、同年代と議論しながらブラッシュアップしていく。
そんなことは地域ではほとんどされていない。
もっと言うと、できない状況下にあると思っています。
何人かの少数の母数の人はもちろんこういった最近のトピックも地域にいながらも、敏感に察知し、考えている、行動に移している人もいると思いますが、
多くの仲間と、多くのメンターと、多くの競合他者と
議論しながらブラッシュアップしながら最先端のことをなしていくことは難しい。
はたまた、東京。いわゆる、日本の中央には、
割合はほぼ地域と変わらないものの、「質」と「母数の規模」の点に関して、天と地ほどの差があると感じています。
東京の話題・事象は大阪より3年、その他の地域よりもっと5年以上、先をいっているともいいます。
まじで問題。
田舎から都市圏の大学に進学するということは、たまたま容姿に恵まれて街角でスカウトされるのにも似た、きわめて確率的な事象である。
この一文もかなり衝撃的。
東京のことなんか想像もできなかった2年前の僕は、
滋賀にある大学と東京の大学との2つの選択肢で、すごく迷っていた。
もともと僕は「人に会うために大学にいく」という目的があったので、
単純に人数で考えると、東京の方が会えるなーと思って東京の大学を選んだ。
本当に細部までよく検討して、東京の大学を選んではいませんでした。
今思えば、東京を洗濯していて本当によかったと思っています。
滋賀がよかったか、東京がよかったか、その真相は別にして、
大学での進路選択というのはその後の人生を左右する圧倒的に重要な分岐点出会ったなと今では実感しています。
「大学生活」というものをどういう定義や、意味合いを持つかで解釈は全く違いますが、
多くの人は人生のモラトリアム期間として大学は進学していると思います。
まだ社会もしらない自分が、今後どんな仕事を選んで、
どんなライフスタイルで人生を送っていくか、考え、経験し、学び、選択肢を洗い出していって、最終的に選択する。
そんなめちゃくちゃ大事な期間の、機会の総量に日本各地で差が出ているっていうのは、教育や人財育成に関するものすごく大きい問題だと思っています。
強くしなやかな日本列島を実現していくためには、
地方創生ではありません。
若者の教育環境における、地域格差是正です。
世界の経済競争に置いて、日本を強くしていくためには、
グローバル教育の推進ではありません。
まずはローカル地域の教育環境を整えなければ、元も子もありません。
根っこがない人財が海外思考をつけたところで、勝てることなんてのは全く想定できないし、わかりきっていることです。
英語英語英語えいご
英会話
で、お前は英語を使って、海外で何をしていきたいかってこと何ですよ。
英語を通して、海外の人に何を伝えていきたいかってこと。
まず日本の根っこを育てなければ、日本再興は確実にできないし、
不幸な人を増やします。
グローバルとローカルは表裏一体です。
ただ、順番があります。
そんなことを現場で感じている、今回の紹介記事の筆者の問題意識に共感して、
自分の記事も書いてしまいました。
僕自身も、この問題を少しでも解決に向かわせる当事者であるべく、
夏に東京のアクティブな学生10人と島根の精鋭の学生10人のツアー合宿企画を企画しています。
もっと、東京や他の地域との交流人口を増やさないと、人は変わっていきません。
誰かがアクションしていかないと、現状は何も変わりません。
紹介記事の筆者もいっていましたが、この記事を読んで、ただ思って考えて、意見をいうだけの批評家ではなく、ぜひアクションに移す当事者の方に仲間入りする方が少しでも増えればいいなと思います。
偉そうなことをいっていますが、僕もまだまだ何も成し遂げられていません。
何者にも慣れていません。
何者にもなれず、苦しくなる時もありますが、結局行動したものにしか、次は見えません。
そんな行動していく人が日本中、どこへいってもしっかりといるようなそんな環境を作っていきます。
そんなことを決めた、今日この頃。