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Sunablog

東京に出た島根出身の大学生が学生起業を目指し日々邁進していく中での備忘録。

高校教育の意味って何?

 

今日は自分の高校のOBの方々が集まる会に参加してきました!

東京で、現在も活躍されているたくさんのOBの方々と話して色々学んだことがあるのでここに記したいと思います。

 

会に参加してまず思ったことが若い人少なっ!ってことです笑

 

僕自身どんな人に会えるかワクワクして行ったのですが、同世代や若い世代の人はあまりいなかったですね。

上の世代の方が大半を占めていました。

別に上の世代の方ばかりが良く無いとは思っていませんが、ちょっと残念でした(^^;)

 

自分がレベルアップしていく意味でもOBの方とお話しするのは本当にいいことだと思うので、もしそういう機会があっても行っていないという方がいたら、僕は強く勧めます!

 

他の会でもなんでも、まずは有機尾を出して参加してみることが大事です。それまで行くかどうか迷っていたのが馬鹿馬鹿しくなるほど、行ってよかったと思えるはずです。

 

 

さて、このOB会に行ってきたというわけですが、もちろんこの会自体、おもしろかったです!超有意義でした!

 

でも本当におもしろかったのがこの会の後で、高校時代の世界史の先生と議論した話。

 

その先生はちょっと変わった面白い先生で、高校時代もその先生の授業は一風変わっていることで有名でした。

韓国への留学経験もあり、本当に知識が豊富な方です。

いろんな国の情勢や、日本の今後のこと、さらにはこれからの「仕事のあり方」など夢中になって議論した後、高校教育についての話になりました。

 

僕自身、高校卒業間近の頃、高校教育に非常に興味があり毎日図書館に通って、それについての本を読みあさるほどでした笑

 

なんでめっちゃ盛り上がりました笑

 

 

僕が高校教育に興味を抱いたきっかけが、受験勉強に一日中勤しんでいる時にふと、「こんなことやって意味あんのかなぁ、、、」と思いました。

そんなことを考えていると受験勉強どころじゃなくなって、全然はかどらなかった。

すんごい悩んで、さっきの先生ではないのですが、ある先生に、

「なんでこんなこと勉強しなきゃならないんですかね。物理も化学も数学も将来使わなかったらまるで意味がないじゃないですか。僕はもっと選択肢があっていいと思うんです。やる気がないのにやっても時間の無駄じゃないですか。だったら自分の興味ある分野、必要な分野に特化して有意義に時間を使うべきだと思います。」

とこんな感じですごい勢いで質問したのを覚えています笑

 

頭おかしいですよね笑

でも、こんな感じにcrazyな勢いで先生に対面して質問をしたことがなくても、少なからず、「これって意味あんのかなぁ」って感じたことがある人は少なくはないのではないでしょうか。

 

さっきの質問に対しての先生の回答が、

「そういった意味がないように感じることも、少しずつでも勉強することで、多角的な目線で物事を考えるのが大事。いわば自分の頭のなかの思考を”カルチベート”するのにすごい大事なんだよ。」

でした。     ※「カルチベート」とは日本語で「耕す」という意味です。

 

結構僕はこれで納得しちゃいました笑

確かに一生使わないような教科・学問でも、自分の知見を広げる、違った分野からの目線を意識するのには必要なんじゃないかと。

 

この思考を”カルチベートする”というのは、ある有名な日本の文豪の考え方から学んだそうです。

その文豪とは、、、、、

 

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太宰治

 

 

彼の作品の一つの「正義と微笑」の一節

 

 

勉強といふものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまへば、もう何の役にも立たないものだと思つてゐる人もあるやうだが、大間違ひだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないやうな勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるといふことが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるといふことなんだ。カルチユアといふのは、公式や単語をたくさん暗記してゐる事でなくて、心を広く持つといふ事なんだ。つまり、愛するといふ事を知る事だ。学生時代に不勉強だつた人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまつてもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまつても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残つてゐるものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。さうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせつてはいかん。ゆつたりと、真にカルチベートされた人間になれ!これだけだ、俺の言ひたいのは。 

 

 

太宰かっちょいーーーって思いました。

 

 

今日いろいろお話しさせていただいた先生もこのことを話したら、なるほどと納得してくださいました。

世界史という教科もそういう面がありますね。

 

先生は、授業をするときただ単に教科書の内容をそのまま教えると、生徒は全く興味を示さないと言います。

誰でもできるような”そのまま”な授業ではなく、先生自身のその国に行った経験談を交えて話すと全く生徒の反応が違うそうです。

 

このように、思考をカルチベートするための勉強だとしても、生徒が興味を示さなかったら元も子もありません。先生側もいかに工夫するかです。

 

 

 

高校でいろんな勉強をする理由は、これからの人生においての準備体操をするという面があるのかもしれません。

頭を柔軟にし、多角的に物事を分析することのできる"真にカルチベートされた人間"になるため、いろんな勉強を学んでいこう!

と改めて感化された今日この頃でした。